Sunday, May 31, 2009

迂闊な月曜日の蝶蒐集家 四頭目 - Butterfly Collector on Careless Monday 04

Wojna i my, 1923


Sleep III.


Nature's Naked Loveliness, 2003


BUTTERFLY


Unknown








I need more than wings to fly away


Butterfly Catching


The Gift Series III

ついでにたしかめておきたいことは、「シュメッターリング Schmetterling(蝶)」という言葉は、それほど古い言葉でもなく、またたくさんあるドイツ語の方言に共通の言葉でもないということです。なにかとても活発で、エネルギッシュで同時にいささか粗野な、それどころか蝶には不適当なこの奇妙な言葉は、かつてはザクセン地方と、おそらくはテューリンゲン地方にのみ知られ、使われていたにすぎませんでした。この言葉は十八世紀になってはじめて文章語に入ってきて、一般的なものとなったのです。南ドイツやスイスではこの言葉は以前には知られていませんでした。この地方では「シュメッターリング Schmetterling」という言葉のかわりに、非常になつかしく、このうえなく美しい「フィファルター (Fifalter)」(または、「ツヴィーシュパルター Zwiespalter」)という言葉が使われていました。
(ヘルマン・ヘッセ (Hermann Hesse) 「蝶について」『蝶 "Schmetterling"』収録、フォルカー・ミヒェルス (Volker Michels) 編 岩波同時代ライブラリーより )


いきなり長々と引用してしまったが、昔、ヘッセのこの『蝶』という本を、中で使われている蝶や蛾の図版にウットリしながら読み進んでいた時にこの引用部に行き当たり、シュメッターリングにツヴィーシュパルターか、なんてカッコイイ響きなんだろう!と中二病全快で感嘆したのを今でも憶えている。ツヴィーシュパルターなんて、某モーターヘッドっぽいし。
シュメッターリングとツヴィーシュパルターを検索してみたところ、コナミが展開している、武装神姫というフィギュアシリーズとそれに連動したオンラインゲームサービスの中にシュメッターリングというキャラがいることが判明。誰かが使っているだろうと思っていたが、その通りだった。


以前仕事でドイツのベルリンを訪れたことがある。その仕事が諸事情で空振りに終わり、約一週間近く、仕事とも観光ともいえない時間を過ごした。市街地を走る幹線道路が交差するロータリーにヴェンダースの『ベルリン・天使の詩』に登場するあの天使の像が立っていて、その像に通じる道のひとつが土日にもなると蚤の市(フリマというよりこういったほうが似合っている)に様変わりする。宙ぶらりんな時間を、その蚤の市でなにか掘り出し物はないかと見てすごした。これが仕事といえば仕事なのだ。
アメリカのフリマやコペンハーゲンのフリマと違い、これといったものが見付からず、ショボーンといった状態だったのだが、ある老人が出しているショーケースを覗き込んでいると、表紙にきれいな蝶の描かれた古い本が一冊、透明な袋に包まれて置いてある。もしやと思い、ある人物の名前があるか確かめてみると、そこには想像したとおりにHermann Hesseという名前が。書名はもちろん"Schmetterling"。
これ欲しいなと思い、拙い英語で老人に声をかける。老人、なにやらドイツ語で答えているのだが、さっぱり要領を得ない。そうこうしている間にボクたちのやり取りを見るに見かけたあるおじさんが、英語でこれ高いんだってさ。買うというのなら見せるけど、そうじゃなきゃ出せないって、みたいなことを通訳してくれる。どうやら最初っから売る気がないらしい。手持ちにあまり余裕がないボクは、買うよなんてことを言える訳はなく、ならここに入れておくなよ、と心の中で愚痴を言いその場を立ち去ったのだが、あそこでもし買うと言っていたら、あの老人は果たしていくらだと答えたのだろう?


このエントリでは、作中にたくさんの蝶が登場するものを選んでみた。
特にEdward Okuńの"Wojna i my"という作品が素晴らしい。蝶の羽とドラゴンの組み合わせが合っているんだかいないんだかよく分からないが、なんかスゴイ。
もうひとり、Joanna Sierko-Filipowskaも素晴らしい作品がたくさんあるので、できればサイトを覘いてもらいたい。このふたりは共にポーランドのアーティスト。

上から五枚目の作品は誰の作品だか不明なので、ご存知の方がいたらお知らせ頂けると助かります。

迂闊な月曜日の蝶蒐集家 三頭目 - Butterfly Collector on Careless Monday 03

Metamorfosi


Metamorfosi






Turning




The Love Letter, 1997


4-legged Psyche, 1996


Der Venuspakt








よく知られていることだが、ドイツ(を含めたドイツ語圏)では蝶と蛾は区別されず、Schmetterlingと呼ばれる(今ドイツ語のWikipediaを覘いてみたら、Schmetterlingではなく、Schmetterlingeと単語の最後に「e」が付いていた。この違いは何?検索ではどちらも引っ掛かるんだけど)。つまり昆虫類の分類群上の鱗翅目(りんしもく)と同一ということになる様だ。

小学生の頃、夏になると、早朝、近所のホテルまで昆虫採集に出かけるのが日課だった。目的は夜中にホテルの外灯目当てに飛んできたカブトムシやクワガタを捕まえることで、それ以外の虫は敵、特に巨大な蛾はおぞましい以外の何ものでもなく、たまにこちらに向かって飛んできたりすると、逃げ回っていた。蛾の燐粉が目に入ると目が潰れてしまうと何の根拠もなく思い込んでいたからだ。だから、ドイツなどの国に蝶と蛾の区別がないと最初に知った時は、蝶と蛾が区別されていないだなんて、驚いたものである。


このエントリでは、妖精といえばいいのか、蝶の羽を生やした女性や少女のイメージをまとめてみた。昔の挿絵画家の作品も手元にあるにはあるのだけど、個別にエントリをほとんど立てていないので、それが終わってからボチボチまとめてみたい。
あ、日本のアーティストの作品も混ぜるべきだった、なんてことをポストする段になって気が付いて、ちょっと反省。

この内容は次回ポストする予定だったので、この後もうひとつポスト。

迂闊な月曜日の蝶蒐集家 二頭目 - Butterfly Collector on Careless Monday 02

Patrick Demarchelier × Gemma Ward
Couture's Flight of Fancy


Eugenio Recuenco × Liliana Dominguez












蝴蝶飞飞NO.5










続けて蝶をテーマにしたシリーズをポストします。
比較的派手な色彩のものをまとめてみました(というつもりで作品を選んでいたのですが、調べてみると、これまでにエントリを立てていないアーティストが何人か出てしまい、作品をいくつか差し替えたため、あまり派手というほどではなくなってしまいました)。

蝶に限ったことではないのですが、例えばこのシリーズの場合、作中に飛んでいる蝶が蝶と分かればいいというアーティストと、この作品の中ではこの蝶を使うんだと意識している人とがいて、フォルダに集めた蝶に関する画像を見ていくと、そういった制作者の意図の違いが分かって面白いです。
今回ポストした中では、Olaf Hajek(オラフ・ハジェック)の作品などは、いつも作品を制作する時にその傍らに昆虫図鑑や鳥類図鑑や植物図鑑を置いていることが伝わってくるのではないでしょうか。

このシリーズ、もうひとつ用意しているのですが、疲れたのでちょっと休憩します。

迂闊な月曜日の蝶蒐集家 一頭目 - Butterfly Collector on Careless Monday 01

























いやー、『東のエデン "Eden of the East"』面白いですね。

今回は蝶。
このテーマには『蝶蒐集家の憂鬱』って何の面白みもない仮題を付けてたんですが、途中で本棚にあるジュール・シュペルヴィエル(Jules Supervielle)の『日曜日の青年 "Le Jeune Homme Du Dimanche"』が目に付いたので『日曜日の蝶蒐集家』にし、じゃあいっそのこと二つを併せちゃえと『憂鬱な日曜日の蝶蒐集家』にしてみたんですが、どうも前とあんまり変わらないものになってしまい、放置。よくあることです。

で、『東のエデン』の話になるんですが、ストーリーの中では3ヶ月前に起きた日本の主要都市に向けたミサイル攻撃事件を「迂闊な月曜日」と呼んでいます。いろんな音楽聴いてる方ならここで、「ああ、『暗い日曜日』か」と思ったことでしょう。

『暗い日曜日 "Szomorú vasárnap"』は、シンガーソングライターで、ピアニスト、そして作曲家でもあったハンガリーのシェレシュ・レジェー(Seress Rezső)が作曲をし、シェレシュ・レジェーがピアニストとして働いていたブダペストの"Kispipa Vendéglő (キシュピパ)"というレストランのオーナーであるヤーヴォル・ラースロー(Javor Laszlo)が作詞を担当。1933年に発表されました。ハンガリーを中心に世界中で数百という人がこの曲を聴いて自殺したという話は有名ですので、聞き覚えのある方も多いでしょう。様々な国で放送禁止になったという話とかも。
どうやらこの話はかなり誇張されたものであるらしく、確かにこの曲を聴いて自殺した人はいたそうなのですが、実際にどれ程の人がこの曲が原因で自殺したのかは分かっていないみたいです。

この『暗い日曜日』は1936年にダミア(Damia)のカバーで世界的に知られるようになったことから、シャンソンがオリジナルと思っている人が多いとのこと。ちなみに、このカバーの前の年には映画『ショーボート "Show Boat"』のジョー役や、その政治活動で有名なポール・ロブスン(Paul Robeson)が張りのあるバリトンボイスでカバーしていたりします。
ボクが初めて『暗い日曜日』を聴いたのは、1941年のビリー・ホリデー(Billie Holiday)のカバーででした。その次がディアマンダ・ギャラス(Diamanda Galas)のあの濃いバージョンです。ですから、この曲は女性アーティストが歌う曲、というか、男性アーティストが歌っているバージョンなど想像もしていませんでした。オリジナルバージョンを聴いて、男性の歌声が流れてきた時は意外で少し違和感が。調べてみると、カバーしているのは圧倒的に女性アーティストが多いのですが、上記のポール・ロブスン以外にも男性アーティストがカバーしていることが分かりました。
ビリー・ホリデーのカバーからしばらくこの曲のカバーをする人は現れません(もしかするといたのかもしれませんが)。1957年に、あのフォーキーなスタイルで知られるブルースマン、ジョッシュ・ホワイト(Josh White)がカバーします。すると、翌年にもメル・トーメ(Mel Tormé)、リッキー・ネルソン(Ricky Nelson)と男性アーティストが続けてカバー。それにしてもリッキー・ネルソンはちょっとどうなんだろう?と思い検索してみると、YouTubeに曲が上がってました。う~ん、やはり微妙です。あの声とキャラでこの曲歌っちゃダメですよ。

昔はジャズ畑かシャンソン畑の人たちが『暗い日曜日』をカバーすることがほとんどでした(1968年にジェネシス(Genesis)がカバーしていますが、まあ、それは例外でしょう)。それが変わったのは1979年、アンダーグラウンドの女王リディア・ランチ(Lydia Lunch)がこの曲をカバーしてからでしょうか。1981年にエルヴィス・コステロ(Elvis Costello)、1982年にはアソシエイツ(Associates)がカバーしています。
その後は、クリスチャン・デス(Christian Death)、セルジュ・ゲンスブール(Serge Gainsbourg)、サラ・マクラクラン(Sarah McLachlan)、シネイド・オコナー(Sinéad O'Connor)、マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull)、ビョーク(Björk)、ヘザー・ノヴァ(Heather Nova)、クロノス・クァルテット(Kronos Quartet)、サラ・ブライトマン(Sarah Brightman)、イヴァ・ビトヴァ(Iva Bittova)、そしてポーティスヘッド(Portishead)といったアーティストが『暗い日曜日』をカバー。年々カバーするアーティストが増加しているのですが、この曲をカバーするアーティストのフィールドが70年代の後半を境に全く違っているのが分かるでしょう。しかし、こうして見ると、少々イタい方がカバーしてしまう曲の代表に思えてくるから不思議です。

日本ではシャンソンという固定されたイメージが未だに強いのか、他のジャンルのアーティストがカバーすることがあまりない様で、検索してもさほど見つかりません。そんな中、大西ユカリによるカバーは、そのファンキーな解釈で好き嫌いが分かれそうですが、ボクはこの曲に強い思い入れがないせいか、カッコよくて好きです。リッキー・ネルソンの時とは反応が大違いでアレですが。
でも、この曲に関しては結局ビリー・ホリデーのカバーがあればそれでいいかなというのが正直なところ。

書き忘れていましたが、この曲"Szomorú vasárnap"はフランス語でカバーされた時に"Sombre Dimanche"というフランス語訳のタイトルになり、アメリカでカバーされた時には"Gloomy Sunday"という英語訳のタイトルになっています。

『東のエデン "Eden of the East"』に話を戻しましょう。
『東のエデン』というタイトルがジョン・スタインベック(John Steinbeck)の小説で、エリア・カザン(Elia Kazan)が監督し、ジェームズ・ディーン(James Dean)が主演した映画でもある『エデンの東 "East Of Eden"』をもじったものですから、カインとアベルの物語がこのアニメの下敷きになっている可能性があるのでは?と思ったのですが、今のところそういった節があまり感じられないので、タイトルだけ頂いちゃった可能性も強いですね。ま、これからどう展開していくか分からないので、もしかしたら今後そういった部分も見えてくるのかもしれませんが。

先にも触れた「迂闊な月曜日」というのは、『暗い日曜日』とそれをめぐる都市伝説や時代背景を踏まえて付けられたもので、片や曲を聴いて多くの人が自殺してしまう(ということが信じられた)時代、もう一方はミサイル攻撃でも人が死なず、ニートが溢れ、淡々と日常が過ぎてしまう時代、つまり、歴史は繰り返される。一度目は悲劇、二度目はファルス(喜劇)として。ということなんでしょうかね、多分。もしかすると、今は戦前なんだよとでも言いたいのでしょうか。ああ、それはないかな。

この「迂闊な月曜日」、英語圏ではどう翻訳されているのかというと、"Careless Monday"。「うかつなげつようび」という、どこかとぼけた語感が飛んでしまっているのは、仕方がないこととはいえちょっと残念な気がします。じゃあ、フランス語ではどうなっているのかというと、これが"Careless Monday"のまんまなんですね。驚きました。
『暗い日曜日』が世界に広がるきっかけが1936年のダミア(Damia)のカバーだったというのに、「迂闊な月曜日」の訳が"Careless Monday"という英語のままでは、"Sombre Dimanche"に連想が行き着く可能性がほとんど消えてしまうのではないでしょうか。第二話のタイトルが、「憂鬱な月曜日」となっているのですから、英語圏の人たちはこの回のタイトルを多分"Gloomy Monday"というタイトルで見て、そこから"Gloomy Sunday"を連想した方もいるでしょう。フランスの場合はどうだったのでしょう?タイトルがどうなっていたかまでは調べていないのですが、なんとなく、"Sombre Dimanche"を連想させるタイトルになっていなかったんじゃないでしょうか。憶測でこう言うのもなんなのですが、ちょっともったいないなと思うので、そこら辺りにも気を使った方がいいのでは、なんて思ってしまいます。

で、どうしてわざわざフランス語訳を調べたのかというと、『憂鬱な日曜日の蝶蒐集家』というところで止まっていたタイトル付けを再開した時に、「憂鬱な日曜日」の部分を「迂闊な月曜日」にしたらと思い付いた、という単純な理由からでした。ということで、やっと冒頭の本題に戻ってきました。
先に書いたように、『迂闊な月曜日の蝶蒐集家』というタイトル自体が元々ジュール・シュペルヴィエル(Jules Supervielle)の『日曜日の青年 "Le Jeune Homme Du Dimanche"』をもじったものですから、横文字のタイトルはやはりフランス語にしたい、とフランス語もできないのに考えてしまったのです。で、調べた結果生まれたのが、この文章。「迂闊な月曜日」にはフランス語訳がないのか、という驚きでこの妄想が出来上がり、それは一瞬のことだったのですが、文章に落とし込むとなると何故こんなことになってしまうのでしょう。疲れました。

さて、横文字のタイトルですが、フランス語ができるでもないので、『迂闊な月曜日の蝶蒐集家』のフランス語訳はあきらめて、英題にすることにしました。こちらは簡単です。"Careless Monday"という答が既にあるのですから。ということで、蝶をテーマにしたシリーズは、

迂闊な月曜日の蝶蒐集家 - Butterfly Collector on Careless Monday

に決定しました。はい、その通り。これまでと同じくタイトルに意味なんてないのです。

読書する女たち 一冊目 - Les lecteurs 01













analog park 2


La lecture expliquée, 6 mai 2005


Journal of a Collector




Pushkin Girl, 2007




Abuela


また新たなシリーズです。
このシリーズのテーマは読書。
"読書する女たち - Les lecteurs"というタイトルは、レイモン・ジャン(Raymond Jean)の『読書する女 "La lectrice"』から頂きました。なんのヒネリもありません。フランス語が全くできないので、"La lectrice"の複数が"Les lecteurs"で正解なのか、間違っているのかも分かりません。間違っていたら指摘して頂けると助かります。