Alberto Savinio
Alberto Savinio (アルベルト・サヴィニオ、Andrea Francesco Alberto de Chirico、アンドレア・フランチェスコ・アルベルト・デ・キリコ)
1891年8月25日イタリアのアテネ生まれ。
作家、画家、作曲家。
ジョルジョ・デ・キリコ(Giorgio de Chirico)の弟。
元々は音楽を学んでおり、YouTubeで検索すれば作品を聴くことができる。
アテネの音楽院でピアノと作曲を学び、1903年に抜群の成績で卒業。
その後、マックス・レーガー(Max Reger)に対位法を学びながら、オットー・ヴァイニンガー (Otto Weininger)、アルトゥル・ショーペンハウアー (Arthur Schopenhauer)、フリードリヒ・ニーチェ (Friedrich Nietzsche)の思想についての研究を短期間に集中して行ったりもしている。
作曲作りに失敗したアンドレア・デ・キリコは、1911年にパリへと移り、この地でパブロ・ピカソ (Pablo Picasso)、ブレーズ・サンドラール (Blaise Cendrars)、フランシス・ピカビア (Francis Picabia)、ジャン・コクトー (Jean Cocteau)、マックス・ジャコブ (Max Jacob)、ギヨーム・アポリネール (Guillaume Apollinaire)といった前衛芸術に関わった多くの人たちと知り合う。
1914年、アルベルト・サヴィニオという名前で活動を始め、雑誌で"Les chants de la Mi-Mort"という曲を発表した。
1915年、イタリアに戻り、フィレンツェで軍隊生活をしばらく送ることになる。
第一次大戦を経て、1923年頃からローマで生活をするようになり、作家としての活動にも手を染めるようになった。雑誌に発表されたテキストは、論理的な文章から物語まで様々で、日本語で読めるものとしては、「「人生」という名の家」という短編が国書刊行から出ていた世界幻想文学大系の『現代イタリア幻想短篇集』に収録されている。
1926年にマリア・モリーノと結婚し、パリへ移り住んだ。同地では絵画の制作に専念。兄譲りの幻想的な作品を制作した。
1933年、イタリアへ戻る。
1952年5月5日ローマにて死去。
ポストした2点のタイトルは、
"The Marriage of the Cock (detail)" (1931)
"Penelope" (1940)
まるで楳図かずおの『14歳』に登場するチキン・ジョージのお仲間みたい。
Wikipedia
A Journey Round My Skull: Joe Camel's Little Brother Alberto Savinio
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