George Grosz
George Grosz (ジョージ・グロス、ゲオルゲ・グロッス)
本名はゲオルク・エーレンフリート・グロース(Georg Ehrenfried Groß)
1893年7月26日ドイツ (Deutschland、Germany、ドイチュラント) のベルリン (Berlin) に生まれる。
ノイエザッハリヒカイト(Neue Sachlichkeit、新即物主義)の画家であり、ベルリン・ダダ (Berlin Dada) の主要メンバーのひとりであり、そして20世紀を代表するの諷刺画家のひとりでもある。
戦争に対してまだ甘い幻想を持っていた Georg Ehrenfried Groß は、1914年、WWⅠ を 「全ての戦争を終わらせるための戦争」 と賛美し兵士へと志願するも、戦場で重傷を負い入院生活を余儀なくされる。
戦争への幻滅を噛締める苦い入院生活だったに違いない。ドイツの民族主義や愛国主義に嫌気が差した Georg Ehrenfried Groß は、1916年に George Grosz (ジョージ・グロス) と改名し、翌年、ベルリン・ダダへ参加。1919年にはドイツ共産党(KDP)に入党し、党員となる。
しかし、1922年にロシアを訪れた George Grosz は、トロツキーとレーニンに面会面会を果たすも、またも幻滅を味わい、党から脱退。――こうして人は皮肉屋になってゆくのです。
しかし、出版物や作品では次から次へ金星をあげていくことになる。
まず1921年には、諷刺画集 "Gott mit uns (神は我らと共に)" が陸軍を侮辱していると理由を付けられ当局から告発を受ける。書店から画集は没収されるは、300ドイツマルクの罰金を受けるはで金星をあげると、それを皮切りに金星を挙げていくことになる。
1924年、今度も諷刺画集でひと悶着あり、"Ecce Homo (この人を見よ)" が猥褻に当たるとされて風俗紊乱で有罪判決の大金星。
そして1928年、今度は "Maul halten und weiter dienen (Shut up and keep serving the cause、つべこべ言わずにお勤め果たせ)" というタイトルの drawing 作品が、神への冒涜にあたるとされまた告発を受ける。ここでも金星。とまあ、こんな感じだったのだけど後が続かなくなる。
1932年、NY の美術学生連合 (Art Students League) の招きに応じてアメリカを訪れた George Grosz は、翌1933年にナチスから逃れるためにアメリカに亡命したからだ。
しかし、アメリカでの生活は実りあるものとはいえなかった。
WWⅡ も終ってしばらくした1959年、George Grosz はドイツに一時帰国を果たすが、7月6日、飲酒中の事故により急死した。
ポストした作品は代表作のひとつで、1920年の "Daum Marries Her Pedantic Automaton George in May 1920; John Heartfield Is Very Glad of It"。
Wikipedia
Ciudad de la pintura - La mayor pinacoteca virtual
George Grosz
Olga's Gallery
Berlinische Galerie
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