Billy Name × Edie Sedgwick
Billy Name (ビリー・ネイム)
1940年2月22日生まれ。
ニューヨーク出身で、ウォーホルの友人であり、写真家、映画製作者、照明デザイナーとして活動。
Edie Sedgwick (イーディ・セジウィック) aka Edie
1943年4月20日にカリフォルニア州南部のサンタバーバラ (Santa Barbara) でセジウィック家の8人兄妹の7番目として生まれた。
1971年11月16日、オーヴァードーズで亡くなった。
女優、ファッションモデル。
一族はマサチューセッツの出の名門で、イーディの祖父にあたるヘンリー・ドワイト・セジウィックが体の弱い息子、フランシス・ミンターン・セジウィックのことを心配し、暖かなカリフォルニアのサンタバーバラに住まいを移した。祖父が体の心配をしたこの息子がイーディの父であり、そのフランシスが後に結婚することになるアリス・デラノ・ド・フォレストと出会ったのは、16歳の頃のことだそうで、当時まだ12歳だったアリスがフランシスに一目惚れをし・・・・・・、なんてペースで書いていくと、とんでもなく長いものになってしまうので一族についてはこの辺りにしておこう。
1964年、イーディは美術を学ぶためニューヨークで暮らし始めた。
1960年代初頭まで、ニューヨークの社交生活というのはこれから何が起こるのか容易に予測がつくような、形式に支配された世界だったそうで、イーディがその世界に新顔として登場したのはそういったルールがすべて崩壊した頃のことであり、イーディはとにかく目立つ存在だったと当時を回想したジョエル・シュマッチャー (Joel Schumacher) は 『イーディ ―’60年代のヒロイン "Edie"』 の中で語っている。
そして1965年3月、映画プロデューサーのレスター・パースキー (Lester Persky) の家で開かれていたパーティーでアンディ・ウォーホル (Andy Warhol) に紹介される。
レスター・パースキーの記憶によると、ウォーホルはこう言ったという。
「ああ、カノジョは実に、う・つ・く・し・い。」こうしてイーディはウォーホルのファクトリーに出入するようになり、映画の主演を務め、1960年代のポップ・アイコンとなり、ボブ・ディランと交際した。
という60年代のお伽話はここでオシマイ。
ジーン・スタイン (Jean Stein) とジョージ・プリンプトン (George Plimpton) が纏めたイーディを取り巻く人々へのインタヴュ集 『イーディ ―’60年代のヒロイン "Edie"』 を読むと、そういった60年代のお伽話とその終焉、そしてかつてのアメリカのハイ・ソサエティの崩壊と新興のソサエティの勃興の歴史が多くの人々の発言の中から浮かび上がってくる。
ウォーホルはある時、「いつか、誰もが15分間は世界的有名人になれるだろう。 "In the future, everyone will be world-famous for 15 minutes."」 と言った。イーディはその切ない例だと言ったのは "Edie" を書評した高橋源一郎だっただろうか?
《関連エントリ》
traveling with the ghost: Nat Finkelstein × Edie Sedgwick
Wikipedia - イーディ・セジウィック
http://irvinecontemporary.com/showArtist.php?artistID=119
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