Karl Stoecker
Karl Stoecker (カール・シュテッカー)
イギリスの写真家。
ということで、元ネタのロキシー・ミュージック (Roxy Music) の 『フォー・ユア・プレジャー "For Your Pleasure"』 のジャケ写を撮影した方に登場頂いた。モデルを務めているのは、アマンダ・リア (Amanda Lear)。このアマンダ・リアについては、松岡正剛の千夜千冊でマンダ・リアの著書 『サルバドール・ダリが愛した二人の女 "Le Dali D'Amanda a.k.a. Mon Dalì a.k.a. L'Amant Dalì (My Life With Dalì a.k.a. Persistence of Memory: A Personal Biography of Salvador Dali)"』 を取り上げて紹介しているので、興味のある方はそちらを読んでみるといいだろう。出てくる固有名詞からして笑うくらいスゴイ面子がそろっているから。
面倒だという方のために乱暴に要約すると、アートスクールに通いつつ (ドロップアウト後だったかも) モデルをしていたアマンダ・リア (Amanda Lear) は、まず、友人を介してザ・ローリング・ストーンズのギタリスト、ブライアン・ジョーンズと親しくなったのを皮切りに、ブライアン・ジョーンズの友人であったタラ・ブラウン (ギネス・ビールで有名なギネス社の莫大な遺産を相続するはずだった、60年代イギリスのカウンターカルチャであったスウィンギング・ ロンドンの中心にいた若者で、ミュージシャンやアーティストたちとの多彩な交流を交わしていたが、1966年、21歳で事故死し、そのニュースを見た友人のひとり、ジョン・レノンはひとつの詩を書き、それが "A Day in the Life" となったことから、ザ・ビートルズのファンの間ではこの曲のモデルとして知られる人物) の招待で食事に訪れたル・カステル (Le Castel) でサルバドール・ダリと出会い、アマンダを気に入ったダリを介して、まずレオノール・フィニに、そしてアリストテレス・オナシス、ロスチャイルド男爵、ルイス・ブニュエルといった人たち、更にフェデリコ・フェリーニ、アンドレ・マルロー、カトリーヌ・ドヌーブ、ミケランジェロ・アントニオーニ、ブリジット・バルドーらへと紹介され、この時点で頭クラクラであるが、更に出会いは続き、アマンダ・リアがライブハウスやナイトクラブに出入りしていた関係で、ミック・ジャガー、ジョージ・ハリスン、ブライアン・イーノ、クリス・スペディング、キース・ムーン、テレンス・スタンプ、デヴィッド・ホックニー、ジャーメイン・グリア、マリアンヌ・フェイスフル、ツイッギー、アニタ・パレンバーグ、パティ・ボイド、ジーン・シュリンプトンといったロック・スターや俳優、アーティスト、作家、そしてモデル仲間たちとも交友を広げ (有り体に言えば、当時乱痴気騒ぎをしていたパーティーアニマルのひとりだったというワケだ)、そういった光景を撮影していたのがフォトグラファの例えばデヴィッド・ベイリーだったりしたのだけど、それ以外にも、社交の場に現れる時、ダリが終始アマンダを伴っていたこともあって、エリザベス・テイラー、アルフレッド・ヒッチコック、 ジャック・タッチ、ルドルフ・ヌレエフ、ポンピドー大統領、アンディ・ウォーホルとニコ、ジョー・ダレッサンドロ、グレタ・ガルボ、ダリル・F・ザナック、モーリス・シュヴァリエ、セルジュ・ゲンズブール、ジェーン・バーキン、デヴィ・スカルノ (つまりデヴィ夫人)、ユル・ブリンナー、モナコ公国大公レーニエ3世とグレース・ケリーといった人たちの間でもアマンダ・リアのことは知られるようになっていった。いや、ホント笑うしかないでしょ。
そして1973年、アマンダ・リアはロキシーのセカンド 『フォー・ユア・プレジャー』のカバーにタイトな黒のレザーのドレスに身を包んだセクシーでグラマラスな装いで登場し、社交界やショウビズ界以外の場所でも有名になっていく。
翌年の1974年、デヴィッド・ボウイと出会い、ふたりの蜜月時代がしばらく続いた。続いたといってもそれ程長いものではなく、1年くらい同棲生活を過ごしたということなのだけど (当時、アマンダ・リアは性転換をしたという、まことしやかな噂があった)。この期間中に、歌手としてデビュ。ウォーホルが Interview 誌で取り上げたこともあって、あっという間にスターダムにのし上がった。その後、今度はブライアン・フェリー (Bryan Ferry) とのお付き合いがしばらく続き、、、とまあ、こんな感じの女性なのだ。スノビズムをくすぐられ過ぎてくしゃみが出ちゃうよね。
のっけから長々と脱線してしまったが、本来の話に戻すと、Karl Stoecker (カール・シュテッカー) は1970年代にミュージシャンのジャケ写を手がけていて、最初に紹介したロキシー・ミュージック (Roxy Music) の 『フォー・ユア・プレジャー "For Your Pleasure"』 以外にも、ロキシー・ミュージックやブライアン・フェリー関係のジャケ写を撮影している。他に有名なところでは、スパークス (Sparks) の 『キモノ・マイ・ハウス "Kimono My House"』 のジャケ写を撮影してるのもこの Karl Stoecker である。また、ルー・リード (Lou Reed) の 『トランスフォーマー "Transformer"』 にも撮影した写真が使用されているらしいのだけど、有名な表の写真はミック・ロック (Mick Rock) が撮影したものだし、裏ジャケの女装したレイチェルを撮影したのがこの Karl Stoecker ということになるのだろうか?この辺の細かいことについて語っていたかどうか調べてみたいんだけど、ルー・リードの伝記ってまだ持ってたかなぁ?詩集だけ手元に残して売ってしまった気がするんだけど。ちなみにこのレイチェル君は当時ルー・リードと同棲していたお方。
それはさておき、Karl Stoecker について検索してもあまり情報が見当たらなかった。過去の作品について何かインタビュなどがウェブ上にないものだろうかと思い探してみたけど、まったく見付けることができなかった。もしかすると過去については、もう終わったことだ今更触れることもない、というスタンスの人なのかな?
現在サイトでは、いかにもイギリス人って感じの抑制の効いたソフトなサディズム/マゾヒズム感覚、フェティシズム感覚の作品を "Blue Room"、"Brown Room"、"Gold Room"、"Grey Room"、"Rose Room" という五つのシリーズに分けて展示している。
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