ひろき 真冬 (Hiroki Mafuyu)
ひろき 真冬 (Hiroki Mafuyu)
1955年東京生まれ。
1973年少年画報社から出ていたヤングコミックにて漫画デビューというから、もう35年も前のことだ。
最初の短編集 『K,quarter』 が、けいせい出版からひっそりと出版されたのは、デビューから12年経った1985年のこと。翌1986年には、野球を描いた短編をまとめた 『午後の栄光』 を双葉社から出版するが、以前読んだインタビュでは、望んで描いた作品というより半ば無理やり描かされた不本意な作品ばかりなので思い出したくないみたいなことを言っていたと記憶している。
これといったヒット作もなく埋もれかけていたひろき真冬は、1987年イラストレーターの仕事を始める。おそらくこの頃請け負った仕事には、SF 関連のものが多くあったのであろう。
当時、SF 業界ではウィリアム・ギブスンの長編 『ニューロマンサー』 に端を発したサイバーパンクというムーブメントで大騒ぎとなっていた。ひろき真冬がイラストレーターの仕事を始めたのは、サイバーパンクという言葉が、クールでヒップでスタイリッシュなイメージと、猥雑で危険なヒリヒリする匂い、そして人をわくわくさせる何かをギンギンに放っていた短いお祭騒ぎが始まってしばらく経った頃のことだ。
ひろき真冬は、サイバーパンクが掻き立てるそういったイメージを上手くビジュアル化するイラストレーターとして突如登場した、そんな感じだったのだと思う。とにかく、サイバーパンクとの出会いがひろき真冬を浮上させるきっかけになったと言っていいだろう。
ギブスンの 『ニューロマンサー "Neuromancer"』 を皮切りに、グレッグ・ベア (Greg Bear) の長編 『ブラッド・ミュージック "Blood Music"』、ギブスンの短編集 『クローム襲撃 "Burning Chrome"』 、第二長編 『カウント・ゼロ "Count Zero"』、ブルース・スターリング (Bruce Sterling) の長編 『スキズマトリックス "Schismatrix"』 や編集を務めた短編集 『ミラーシェード "Mirrorshades"』 などが相次いで出版され、SF 界という小さな場所での大騒ぎに過ぎなかったサイバーパンクの影響が、あらゆるメディアに波及していった。
それと共にひろき真冬の仕事量は増え、扱う世界も SF にとどまらず、ファンタジー、伝奇、エンタメと広がっていった。シャープな線と緻密なトーンワーク。ひろき真冬の描く、一様に青白い肌をした女たちは、黄泉の国から現れ、運命を弄び男たちを奈落の底へと誘うファム・ファタール的な雰囲気を湛えている。80年代の終わりから90年代にかけて書店でひろき真冬が描いたそういった本のカバーイラストを見たことのある人は多いだろう。
ポストした作品は、ハヤカワ文庫 SF から1989年の秋頃出版されたジョージ・アレック・エフィンジャー (George Alec Effinger) の 『重力が衰えるとき "When Gravity Fails"』 の為に描かれた作品である。
『重力が衰えるとき』 はブーダイーンを舞台とした電脳三部作の第一作目で、これに続く 『太陽の炎 "A Fire in the Sun"』、『電脳砂漠 "The Exile Kiss"』 のカバーイラストもひろき真冬が担当した。
ジョージ・アレック・エフィンジャーは残念ながら、2002年4月、55歳という若さで亡くなってしまった。
今現在活躍している日本の30代の SF 作家の中には 『重力が衰えるとき』 に始まる上記のシリーズに影響を受けた方やフェイバリットとして挙げる方が少なからずいて、例えば、以前ポストした笹井一個が商業的デビュー作を描いた吉川良太郎のデビュー SF 長編 『ペロー・ザ・キャット全仕事』 も、このシリーズの影響下に生まれた作品だと吉川良太郎自身が語っている。
最近、国書刊行会刊の 『未来の文学』 シリーズに端を発したプチ SF ブームの煽りを受け、『新しい太陽の書 "The Book of the New Sun"』 をようやく再版した早川書房は、新装版なんてものを出す暇があったら (ぶっちゃけ、アレは気に入らない)、過去の作品を粛々と (じゃあ、商売にならないんだよ、と言われるかもしれないが、それでもとにかく) 再版してもらいたい。『重力が衰えるとき』、『太陽の炎』、『電脳砂漠』 が気軽に読めないのは問題だろう。
イラストレーターとしてのひろき真冬の場合は、そのシャープなラインに磨きをかけ、トーンワークもより緻密に華麗にそして極限にまで高いレベルへと推し進めていった、その過程を1995年に出版された、それまでに描かれた代表的なカバーイラスト、口絵などをまとめた 『LOUISE』 という作品集で見ることができるので、この作品集をどこかで見かけることがあったら迷わず手元に置くことをお勧めする。
その後 『ETIQUETTE OF VIOLENCE―ひろき真冬画集』 という画集を2000年に出しているようなのだが、未見の為どういった内容になっているのかは分からない。
ひろき真冬が凹んでいた時期に影響を受け、やる気を出すきっかけになった漫画家として挙げていたのが大友克洋と宮西計三のふたりであり、やる気を出して描かれたのが 『K,quarter』 に収録されている短編群だったとインタビュで答えていたと思うのだが、このインタビュ、読んだのが恐ろしく昔のことなので、記憶違いで間違っているところがあるかもしれない。
ボクが 『K,quarter』 という短編集の存在を知ったのは高校時代のことである。地方の山間部にある田舎に住んでいたものだから、たまに地方都市に遊びにいくことがあると古本屋で 『K,quarter』 を探してまわった。同じく探していた大友克洋の二冊の短編集 『GOOD WEATHER』 と 『BOOGIE WOOGIE WALTZ』 の内、『BOOGIE WOOGIE WALTZ』 は運良く見つけることができたけど、ひろき真冬の 『K,quarter』 と大友克洋の 『GOOD WEATHER』 を手に入れることができたは、大学の進学で他県の更に大きな地方都市でひとり暮らしを始めしばらく経ってからのことだ。
『K,quarter』 には、短編集のタイトルにもなった 「K,quarter」 という短編がまず一本目として収録されている。J. G. バラード (J. G. Ballard) の 『クラッシュ "Crash"』 の内容を聞きかじって描かれた様なストーリー。1984年の6月に脱稿したと記載のあるこの短編、メカやマシンのトーンワークには既にひろき真冬独特の艶かしさが現れている。
続いて収録されている 「男たちの夜」 はこの短編集の中では最も古い作品で、1980年5月に脱稿されたもの。絵柄から何となく御厨さと美を思い出したのだが、ひろき真冬はデビューまでは誰のアシスタントをしていたんだっけ?
3つ目は 「K,quarter」 と同じく8ページの小品 「沙魚の祭」。1984年の3月に脱稿されたこの短編はストーリーらしいストーリーがある訳ではなく、60年代的な世界と80年代を接木する様なシュールなイメージの連鎖から成っている。独立したカット絵として使える密度とイメージの喚起力のあるコマが複数あり、この短編を読むとひろき真冬がその後イラストレーターへと進んだことが必然だったかのように思えてくる。
1985年の3月の作品 「TOKYO物語」 は、タイトルを小津安二郎から拝借し、内容は山田洋次の 『男はつらいよ』 と東映のヤクザ映画をミックスした、ロボットの登場する近未来フーテン任侠漫画といった内容。この短編を最初に読んだ時は、表紙絵から勝手なイメージを膨らませ、ワクワクしながら読み始めたのだけど、表紙から想像していたと実際の内容の落差を楽しむことができず、ちょっとした失望感を味わった。だから、ストーリーそのものよりも表紙絵の方が強い印象を残している。
そして最後の作品 「青の誕生」。
この作品は1984年11月に脱稿したとある。やがて訪れるであろう世界的な飢餓に備え、人間と植物の融合によって光合成を取り込むことで自給力を持った新たな人類の創造を目指し実験を続ける茉莉夫と共同生活を営んでいたリョウは、品種改良を繰り返した薔薇を自らの腕を切り裂き苗床とする茉莉夫の常軌を逸した行動に恐れを抱き、つてを頼って NY へ逃げるようにやって来た。そこで出会った娼婦の史津江と同棲まがいの生活を始めることになる。そんなリョウの元へ毎週茉莉夫からのエアメールが届く。送られてくるいつも薔薇の種のみ。まるで、お前も腕を切り裂き薔薇の苗床になれとでも言うかの様に。こういった感じで物語は展開していく。「青の誕生」 は、『K,quarter』 に収録された作品の中で最も完成度が高く、ひろき真冬の描き出す詩的なイメージと物語がバランスよくまとまっている作品だろう。女の白い裸体や背景の空白部分と執拗に描かれた背景、髪、服のシワとのバランスもいいし、腕から生えた薔薇の芽を描いたコマや、見開きで描かれた華麗なトーンワークによってメタリックなボディに仕上げられたビュイックがページ内にヌッと登場するページは、コマやページの流れとして印象的で効果的に配置されている。もちろん今読むと絵のスタイルは古く感じられるし、イラストレーターとなって以降の洗練された線からするとまだ野暮ったくもあるのだが、それでも尚、この時代の線には艶かしい色っぽさがあると思うのだ。本当に久しぶりに読み返したがやはり面白い。
以上、『K,quarter』 に収録されている五つの短編についての感想みたいなものを書いてきたが、全体的な印象としては、都市生活者特有の神経症的な苛立ちや鬱屈、そしてあの時代の空虚さが刻印された作品群といったところだろうか。
どの作品にも脱稿した時期の記載はあるのだが、初出の記載がないのはどうしてなのだろう。書き溜めていたものを単行本化したというのだろうか。しかし、デビューして10年以上のキャリアがあるとはいえ、未だ一冊の単行本も出していない漫画家にいきなり書き下ろしの企画が舞い込むとも思えないので、雑誌に掲載されたのであろう。そうであるなら、これらの作品に目を留めた編集者とかいなかったのだろうか。その時代の編集者たちはいったい何をしていたんだろう。何を見ていたんだろう。ひろき真冬にはこの時期にもっと漫画を描かせるべきだったのだ。そうすれば今頃ボクたちの手元には80年代版 『とうきょう屠民エレジー』 といえるような作品集が残ったのではないか。
と、ここで唐突に宮谷一彦を導入することになるのだが、扱っている主題も絵のスタイルも違ってはいても、何故か宮谷一彦-ひろき真冬というラインを考えてしまう。宮谷一彦とひろき真冬を繫げることに眉をひそめる人もいるだろうし、自分で繫げておいてなんだが、その理由が自分でもよく分かっていないのだ。都市生活者の憂鬱、ナルシズム、機械へのフェティシズムで両者が繋がるとでも思っているのだろうか。
80年代、時代は、大友克洋、江口寿史、鳥山明、上條淳士的な方向へ (という纏め方にも異論はあるだろうが) 進んでいき、宮谷一彦的なものは忘れ去られていったが、ひろき真冬が漫画を描き続けることができていたら、楔が打ち込めていたのではないかという、「if」 を想像させるものが 『K,quarter』 にはある。ボクの他に誰もそんなことを言う人はいないかもしれないが、少なくともボクの中ではそうなのだ。
しかし、実際にはひろき真冬の漫画が定期的に発表される場などありはしなかった。いくつかの印象的な作品が描かれもしたが、単行本としてまとめられたのは1995年の作品集 『LOUISE』 においてであった。書き下ろしのフルカラーコミック 「ルイーズについて」 を含め四つの短編がこの作品集に収められている。しかし、『K,quarter』 が僕に見せてくれた在り得たかも知れない作品はそういった作品ではないのだ。違うのだ、何かが。だからボクにとって 『K,quarter』 は今でもひろき真冬の可能性の中心であり続けている。
先程、作品の使用を求めるメールを出して以後訪れていなかったひろき真冬のブログへいってみた。
エントリを過去に遡って読んでいき、2007年06月05日付けの 「紙一重_」 というエントリにぶつかった。
『K,quarter』 を出版した20代の頃について回想したエントリとなっている。ボクが持っていた疑問の一部を埋めてくれる答えがそこには書かれていた。胸が熱くなる。
今確認してみたのだが、使用許可を頂いたメールへの返事に、
ひろき真冬の可能性の中心は"K,quarter"に収められた諸短編にあると思っています。
できればあの作品群の先にある世界を単行本で見たいと私は今でも思っていますし、他にもそう考えている方が結構いるのではないかと。
などという生意気で偉そうな返事を出したのが、この 「紙一重_」 というエントリのひと月前のことだった。
もしかしたらこのエントリは、ボクからのメールを受けて書かれたものなのだろうか。基本、ネガティブ思考なもので、自分に都合よく考えられる要素が見つかると、全力でそれに飛びつくことにしている。よって、このエントリはボクへの返信だと思うことにした。
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