Thursday, June 26, 2008

Gustav-Adolf Mossa (Gustave Adolphe Mossa)






Gustav-Adolf Mossa (Gustave Adolphe Mossa、ギュスターヴ・アドルフ・モッサ)
1883年1月28日フランスのニースNiceに生まれ、1971年5月25日同地にて没。
French Symbolist。

Gustav-Adolf Mossa の父 Alexis Mossa は、19世紀の終わり頃に Carnaval de Nice (ニースのカーニバル) のために多くのポスターを製作したニースの画家だった。幼い頃から絵に興味を示した Gustav-Adolf Mossa はこの父から絵の手ほどきを受け、大きな影響を受けることになる。
1900年頃には、アール・ヌーヴォーを知り、地元ニースの装飾学校で勉強を始める一方、父からも教えを受けていたという。
国際展示会を訪れた彼は、そこで象徴主義とアール・ヌーヴォーの作品を生で目にすることになった。
この展示会にどういった芸術家が参加していたのか不明だが、ギュスターヴ・モロー (Gustave Moreau)、ルシアン・レヴィ=デュルメル (Lucien Lévy-Dhurmer)、エドガー・マクサンス (Edgar Maxence)、エミール=ルネ・メナール (Émile-René Ménard) といった象徴主義者の影響を受ける。

1886年9月18日付の 『フィガロ』 紙に詩人のジャン・モレアスが "Le symbolisme (ル・サンボリスム、象徴主義宣言)" と題する宣言を掲載したことが、象徴主義が芸術運動に発展する契機となった。「隕石のように文芸市場に落ちてきて,ひとびとを仰天させ立腹させた」 とユイスマンス自身が回想で語った 『さかしま "À rebours"』 が出版されたのが1884年のことであり、この作品には、後に象徴主義者と呼ばれることになる芸術家やその作品が多く登場している。このことから、うねりとなりつつあったある種の芸術の傾向に名前を付けたのがモレアスの宣言だったのではないだろうか。といっても、このあたりの美術史の流れについて、詳しくないので間違っているかもしれない。

ギュスターヴ・アドルフ・モッサは、象徴主義とも関連の深いその J=K.ユイスマンス (Joris-Karl Huysmans、ジョリス=カルル・ユイスマンス) をはじめ、ステファヌ・マラルメ (Stéphane Mallarmé)、シャルル・ピエール・ボードレール (Charles Pierre Baudelaire) らの著書も貪るように読み耽り、象徴主義にのめり込んでゆく。それ以外にも、アールヌーヴォー、クワトロチェント (Quattrocento、15世紀イタリア美術)、ラファエル前派から影響を受けている。演劇の脚本や詩を書くようになったのもこの頃のこと。

1901年、Gustav-Adolf Mossa は最初の象徴主義作品を大きなキャンバスで制作。タイトルは "Salomé ou prologue du Christianisme"。
父と連れ添ってジェノバ、ピサ、シエナ (シエーナ) そしてフィレンツェといったイタリアの各地を訪れたり、ニースのカーニバルに最初の作品を出品のもこの頃のことであり、その後父とはまた旅をしているので親子仲は大変よかったのだろう。

1904年から1911年にかけ、水彩画、詩、演劇と旺盛な創作活動を繰り広げた。私生活では、1908年にCharlotte-Andrée Naudin と結婚。1911年にはギャラリーでの展示会で小さな成功を収めるなど非常に実りの多い、まさに順風満帆の時期だった。

その後、l'art primitif flamand と出合って Gustav-Adolf Mossa は象徴主義を捨てる。1913年、ロベルト・シューマン (Robert Schumann) の影響を受けた一連の作品をニースとパリで展示。
翌1914年には WWⅠに動員され重傷を負うこととなり、この経験が1916年に完成する "Les tristes heures de la guerre" を描く動機となった。

そして1918年、10年連れ添った Charlotte-Andrée Naudin と離婚。
Gustav-Adolf Mossa が集中的に絵を描き続けたのは、この年までのおおよそ15年間。制作された作品の多くは Gustav-Adolf Mossa の死後発見された。
"A late Symbolist" と呼ばれることになったのはこのためである。

ポストした作品は、上から1905年の "la sirène repue"、1906年の "Elle"、"Salomea"、1908年の "Les mortes"、1905年の "Le faetus"。胎児の描かれた5点目の "Le faetus" は、オーブリー・ビアズリー (Aubrey Beardsley) の作品からインスピレーションを得て描かれた作品だろう。

Яна Москалюк (Yana Moskaluk) がこのGustav-Adolf Mossa (Gustave Adolphe Mossa、ギュスターヴ・アドルフ・モッサ) 好きらしく、ボクは Яна Москалюк (Yana Moskaluk) のLiveJournalで初めて "la sirène repue" を見て一発で好きになった。そして、ウェブ上で作品を漁って、そのグロテスクで残酷な美しさに益々魅了された。

Wikipédia
MOSSA
Ciudad de la pintura - La mayor pinacoteca virtual
History of Art: Gustave Adolphe Mossa
Mossa pictures - David und Bathsheba
Gustave Adolphe Mossa, Eve Pandora, 1907 on Flickr - Photo Sharing!
Old Paint: Gustave Adolphe Mossa, Eve Pandora, 1907
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