Tuesday, October 21, 2008

遠藤彰子 (Akiko Endo)


遠藤彰子 (Akiko Endo)
東京都中野区生まれの洋画家で、現在武蔵野美術大学油絵学科教授。
1968年武蔵野美術短期大学を卒業、相模原市にアトリエを構え本格的な創作活動を開始する。
1970年から1976年にかけて制作された 『楽園』 シリーズは、森の鳥や兎といった自然と接したときの喜び、驚き、感動がもととなって誕生したシリーズ。
1975年に長男が急病に罹る。このことがテーマや作風に変化をもたらした。日常というものが切欠があればその姿を大きく変えてしまう不確かなものでしかないこと。そういったことを実感し、社会や人間をテーマにした 『街』 シリーズを1977年から1988年にかけて制作していくことになる。
Wikipedia の

現代日本を代表する洋画家の一人。暗緑色を基調とした背景に、複数の視点からなる建物、踊り場、広場などがあり、そこに多数の人物や動物が描かれ、全体として神秘的な印象を受けるような作品が特徴とされる。

という記述の 「複数の視点」 というのは、だから遠藤彰子のゆらいだ視点を反映しているものなのだろう。
その後1989年から描き続けられることになった作品のサイズは、500号 (249cm×333cm) とかなり大きなものへなっていく。この変化については遠藤彰子が書いた text がある。そこには、


「この500号の連作によって、大きな画面の中で空間というものを表現することの意味を初めて実感することが出来た。それは500号の面積によって出現する空間の広がりが、200号までの構成では意味をなさず、いかにそれを表現するかという問題が出てきたからである。
その問いは、私にとって自由に具象絵画を描くことへの願望と重なり、絵の中で私自身がより解放されるための手立てとなった。
500号が単に拡大した面積でないことを証明するということは一体どういうことなのか。人が一瞬で見ることが出来る面積には限界があり、500号の大きさを見て捉えるということは、見るものの視点を、動勢の中に感じさせなければ、意識が拡散してしまうのだ。すべての500号は、いかに画面に動的な気配を表すかが重要になってくるのだ。」

とあり、作品を制作する上での自身の解放への繋がりと画面にいかにダイナミズムを持ち込み、且つそれを構成するのかということに腐心している過程が語られている。そして、その解決方法として、


「そこで、私は、矩形の画面に螺旋運動を起こさせる構図考え、それが細部に連鎖していく感じと、総てを包んでくれる原動力のような印象を与えることにより、空間に揺れ動くような気配を現した。それが画面の人物をも活かしめる重要な要素であることを構成の中に見い出したのだ。」


というところへ行き着いた。
大きくうねる様に描かれた螺旋のダイナミズムを味わうのには、やはり作品を生で見るに限るということになるのだろう。う~ん、間近で見てみたいなぁ。
そういえば、17世紀のメキシコにソル・フアナ=イネス・デ・ラ・クルスという修道女がいた。彼女は詩人でもあり、その詩のひとつに次のようなものがある。

「調和とは螺旋であって円ではない。
その形態からして、螺旋は
同じところへ戻ってくる。わたしは
それを「かたつむり」と名づけた。
そうした旋回をしているからだ。」

遠藤彰子の作品にピッタリではないだろうか。

ポストしたのはいずれも500号の作品を制作するようになってからのもので、タイトルと制作された年は次のようになっている。
1989年の作品 「見つめる空」、1994年の作品 「呼び声は ときを揺らす」、2003年の作品 「遠き日がかえらしむ」、1991年の作品 「黄昏の笛は鳴る」。
「黄昏の笛は鳴る」 については、上で引用したtextの中に言及した部分があるので引用しておく。


「『黄昏の笛は鳴る』 は15年前に描いた思いで深い作品である。静かな夜に水を飲む犬の舌を動かす音を聞いたことが耳の奥に記憶として残っており、それが、思春期の少女の道行きのイメージと重なり、描き始めた。
男の化身のような黒い犬が少女を助けるのか。また、襲おうとしているのか。夜に対峙するものを、それまでの作品にはない要素である炎とし、強い対比で表現することにより、思春期における少女の不安な情景を描いた。水と炎、地平線に広がる炎の輪舞。強烈な暗示が欲しかったのだ。地平線付近の情景
は、私にとって黄昏の美しさにもつながり、炎の表現にはとても苦労したのを憶えている。」

初期の 『楽園』 シリーズや現在の作風へと繋がる転換を果たした 『街』 シリーズの作品が漏れてしまったので、どちらも好きなシリーズなので、『楽園』 シリーズの中から1975年の作品 「音楽」 を追加しておこう。
この作品が描かれた初期から現在に至るまで一貫して作品の中に南米的な想像力みたいなものが感じられる。また、『街』 シリーズの日常が裂けそこに現れた風景が高度経済成長期を感じさせるものであるところが面白く、『街』 シリーズ以降は南米的な想像力と高度経済成長期的な風景が複雑に絡み合った幻想的でダイナミックな世界が執拗に描かれることになる。


某所で、ジョルジョ・デ・キリコ (Giorgio de Chirico)、ヒエロニムス・ボス (Hieronymus Bosc)、ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ (Giovanni Battista Piranesi)、M.C.エッシャー (M.C.Escher)、そしてバルテュス (Balthus) といったアーティストの名前を挙げながら遠藤彰子について語っているのを見つけた。基本的にその影響についてネガティブに捉えているものが多かったように思うが、遠藤彰子はそういった言説を超える貪欲さを持った画家なのではないだろうか。個人的には、遠藤彰子にはもっと多くのアーティストの影響を呑み込んで更にメガロマニアックになって頂きたいと思う。

「私が絵を描くのは、現実に見えているものでは満足できず、いつも何かが欠けていると感じているからである。現代を生きるものとして、その時々の憩いや、様々な感情を造形化することによって、そこに隠されている「何か」を、表に現すことが重要だと考えているのだ。それを、より絵画的なリアリティを持って表すが為に、様々な語り口で試行錯誤し、私の世界を構築しているのだと思う。表現とは字のごとく、目には見えないものを見えるように表に現すことだと考えているのだ。
私はこれからも「今、生きている実感」を様々なイメージで造形化しながら表現していきたいと願っている。」

以上、引用したtextは、Wikipedia からのものを除いてすべて FORME No.279 P16-17悠 からのものである。

Akiko Endo's Web Site
FORME No.279 P16-17悠

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