岡本 流生 (Ryusei Okamoto)
岡本流生 (Ryusei Okamoto)
1949年 (昭和24年) 北海道室蘭に生まれる。10歳の時に、父の転勤に伴い東京へ移住。
14歳の時にの文 / 更科源蔵、版画 / 川上澄生という 北海道絵本「」 と出会い、この本の版画に魅せられたことがきっかけで木版画を始める。17歳で初の木版画シリーズを制作。シリーズ名は 「絵葉書 北海道」。24歳の時に、木版画の大家、吉田遠志に師事し、吉田遠志の亡くなるまで二十年近く指導を受けることになった。岡本流生はこの師弟関係について、
「この師と出会えた事は、私の人生の最高の幸運であったと思う。」
と語っている。
岡本流生は、版画集へ寄せられたある批評家の論評を思い出しながら
「以前、と言っても二十年以上も前のことです。
版画集に”推薦の言葉”を寄せてくださるようお願いした批評家が”時代錯誤”と言う言葉をキーワードに私の作品を論評しました。
今になって思うと、全くその通り。
私の憧れは今も、見たことも無い大正時代に在るのですから。」
と語っているのだが、批評家がどういった文脈で時代錯誤という言葉を使ったのか、そのテキストを読んでいないので判断のしようがないのではあるけれど、技法的なことについてそう言ったのか、それとも岡本流生が少女に託したイメージについてそう言ったのか、おそらくこのふたつのどちらかについて言ったことだと思われる。技法的なことについては、私みたいな素人には新しいも古いもないので、そのイメージついてに対して使ったものだということにして話を続けよう。
岡本流生の唇を真一文字に結んだ少女たちに宿るイメージの涼しげな感触というものは、岡本流生が生きることのなかった過去に思いを馳せ、それを現代の少女に投影した、こうあって欲しい少女像なのだろうか。この凛とした佇まいの少女像に岡本流生が憧れる大正時代のイメージが投影されているのかどうかは分からない。しかし、高度に情報化した社会はこういったロマンの香りのする凛とした少女の存在を許さないだろう。そういう意味において、やはり、岡本流生の描く少女は想像の中にしか存在し得ないのではないだろうか。そんなことを考えながら岡本流生の作品を見ていると、ロマン溢れる物語の中に逃げ出したい気分になってくる。いつだってロマンは物語の中にしかないのだから。そう、だから、時代錯誤だといわれても何の問題もないのだ。
ryusei okamoto
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