Lisette Model
Lisette Model (リゼッタ・モデル、リゼット・モデル)
1901年11月10日オーストリア (Austria) ウィーン (Wien) 生まれ。
Lisette Model は Elise Felic Amelie Stern という名前であったが、2歳の頃に一家は改名をし、Lisette Stern となった (Model という姓は、結婚後のものになる)。
家庭教師の教育で、Lisette Model は3か国語が流暢に喋られるようになったという。
19歳の時、作曲家のアルノルト・シェーンベルク (Arnold Schoenberg) の下で音楽を学び始めた。
後になって 「私の人生においてひとりの師と最も影響を受けたものを挙げるとするならば、それはシェーンベルクをおいて他にはない」 と Lisette Model は語っている。
1924年、父親が死亡し、Lisette Model はポーランド出身のソプラノ歌手 Marya Freund に声楽を学ぶためにパリへ向かった。
そして将来の夫となる画家 Evsa Model との出会いもこの頃のことだ。
パリに移り住んで9年たった1933年、Lisette Model は音楽をあきらめ、新たにビジュアルアートを学ぶことを決心した。
まず手始めに、André Lhote (Andre Lhote、アンドレ・ロート) のアトリエで油絵を習い始めた (ちなみに、時期は違うがこのアトリエにはまだ画家を志していた頃のアンリ・カルティエ=ブレッソン (Henri Cartier-Bresson) やジョージ・ホイニンゲン=ヒューン (George Hoyningen-Huene) がいたこともある)。
次いで妹の Olga Seybert から暗室技術についての基本的な指導を受け、Lisette Model も写真を撮り始め、portrait photographer の Rogi Andre からも写真撮影のテクニックについて学んでいる。
1937年にかねてから交際していた Evsa Model と結婚。
その翌年、夫の Evsa Model の姉 (妹かも) と合流するためマンハッタンへ移住し、この地で写真家としてのキャリアを本格的にスタートさせた。
1951年に、長年の友人であるベレニス・アボット (Berenice Abbott) が写真について教えている NY のニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチ (New School for Social Research) で教鞭をとらないかと誘われ、ここで授業を受け持つことになった。
ここで Lisette Model の教えを受けた生徒の中で最も有名なのは、1957年に授業を受けたダイアン・アーバス (Diane Arbus) だろう。
ダイアン・アーバスは Lisette Model から大きな影響を受けることになった。
Lisette Model (リゼッタ・モデル、リゼット・モデル) とダイアンアーバス (Diane Arbus) の関係については東京的日乗 : 蒲田というブログで詳しく語られている。
1983年3月30日NYにて死去。
Wikipedia の一部をヘタレ意訳したものゆえ、興味のある方は原典に赴くべし。
有名な巨漢の女性の水着姿などもっとインパクトのある作品があるのだけど、ここでは1944年頃撮影された "Untitled (Teen age beauty)" という作品をポストしておく。
Wikipedia
Lisette Model
Masters of Photography: Lisette Model
Galerie Priska Pasquer, Ausstellungen: 'Kinder' Lisette Model #01550
El Ángel Caído - Lisette Model
model052803.jpg
TWIN PALMS PUBLISHERS • TWELVETREES PRESS: Forthcoming
東京的日乗 : 蒲田
No comments:
Post a Comment