Friday, June 27, 2008

渡辺幾春 (Watanabe Ikuharu)


渡辺幾春 (Watanabe Ikuharu)
1895年 (明治28年) 名古屋の西区江川端町に生まれ、1975年 (昭和50年) 80歳で死去。
美人画で有名な日本画家。
9歳で郷土の画家水谷芳年に師事。1911年 (明治44年)、名古屋市立第一高等小学校を卒業した後に京都に出て京都画壇の山元春挙に師事した。
1917年 (大正6年)、22歳で上京。当時東京では解散状態となっていた日本美術院を再興した再興日本美術院のメンバーたちが、日本画の革新に意欲を燃やしていた熱い時代だったという。翌年、第12回文展に出品した 「百日紅」 が初の入選を果たす。
1922年 (大正11年)、27歳の渡辺幾春は京都へ戻り、京都市立絵画専門学校別科に入学する。ここ京都でも新たな時代、自分たちの時代を求め、土田麦僊や村上華岳らが熱い活動を展開していた。第4回帝展に出品した 「若き女」 が入選。
その後、29歳の時で名古屋市に戻り、朝見香城や喜多村麦子といった画家たちと 「中京美術院」 を創設。京都と名古屋の画壇で活躍する。
1934年(昭和9年)、39歳で再び上京し、57歳で三度名古屋に戻ってくるまで東京で旺盛な活動を繰り広げた。
1952年 (昭和27年) になり名古屋へ戻ってきた渡辺幾春は、千種区徳川山町三丁目に住まいを構え、80歳で亡くなるまで同地で活躍した。

ポストしたこの作品は 「昭和美女姿競 "Completing Beauties in the Showa Pieriod"」 というシリーズの 「梅見月 早春 "February Early Spring"」。
Erté (Erte、エルテ) の作品から「目」で繋げてみた。こういった「目」にはこれまで何度か出会っていて、一番最初に出会ったのはおそらく高橋葉介の描く少女や女性たちだろう (この「目」以外に、うりざね顔という点で渡辺幾春と高橋葉介は繋がる)。他にも幾つか薄っすらとした記憶があるのだけど、それが誰の作品なのか思い出すことができない。こういった 「目」の表現の源流が一つだと言い張るつもりはないし、目の表現の歴史について詳しい訳でもないのだが、Erté (Erte、エルテ) のあの 「目」 がそのひとつなのではないかと何の根拠もなく考えている。
そして、オクターヴ・ミルボーの 『責苦の庭』 のあのこの上もなく残酷で魅力的な少女クララは、Erté (Erte、エルテ) のあの 「目」 をしているに違いないという妄想からボクは離れることが出来ない。

Japanese Prints - Ikuharu
美術店 絵草子 渡辺幾春
渡辺幾春 『初島田』  掛軸の販売 [古美術こもれび]
郷土作家列伝

1 comment:

cha cha 2000 said...

え~と、大先生でそのURLを検索すると、微妙な結果が現れるためクリックしておりません。
多分そのうち削除しますのであしからず。