Bill Brandt 02
Bill Brandt (ビル・ブラント)
1903年ドイツのハンブルグ生まれ、1983年没。
前回のエントリは、ビル・ブラントがエズラ・パウンド (Ezra Pound)に紹介されたマン・レイ (Man Ray)を頼ってパリへ行き、マン・レイのアシスタントとして2年を過ごすことになる、というところで終わっていたが、続きを書くためにバイオグラフィーを探したところ、パリでマン・レイのアシスタントを務めたのは3ヶ月の間だったという一文を見つけた。どうもこちらのほうが正しいようだ。
ブラントがパリにあるマン・レイのスタジオでアシスタントとして過ごしたのは1929年のことで、3ヶ月間にシュルレアリストたちと交友を持ち、特にルネ・クルヴエルとは仲がよかったという。ブラントはただアシスタントを務めるだけでなく、自分でも写真を撮り始め、この頃に蚤の市の見かけたマネキンを撮影した写真は、1934年に『ミノトール』誌クルヴエルのテクストと共に掲載されることになる。
1931年にロンドンへと渡り、フリーの写真家として活動を開始。なぜイギリスへ渡ったのか、その理由はよくわかっていないらしい。
1932年にエヴァ・ボロス(Eva Boros)と結婚。
1934年、ブラントは妻エヴァと共にベルサイズ・パークで暮らし始めた。英国生活の、そこで見た階級社会の裕福な層と貧困層を意識して記録していく。例えば、一方で貴族を撮影し、他方では召使いやイーストエンドの子供たちを撮影するといった感じで。
この頃にブラッサイ(Brassai)と知り合い、大きな影響を受ける。二人はよほど馬が合ったらしく、ロンドンや南仏で頻繁に会い、言葉を交わしたそうだ。
そして1936年、最初の写真集となる『家庭のイギリス人 "The English At Home"』を出版した。
次にブラントが目を向けたのは、より政治的な主題で、厳しい貧困に喘ぐ中部地方と北部地方の産業地域を撮影して回った。
1938年に第二写真集『ロンドンの一夜 "A Night in London"』を出版。このタイトルはもちろんブラッサイ『夜のパリ』を意識して付けられたものである。
ブラントはブラッサイ以外のアーティストやその世界に属する人たちとロンドンやヨーロッパ各地で出会っている。その中には、ジョルジュ・ブラック(Georges Braque)、ステファン・ローラント(Stefan Lorant)といった人たちがいた。
英語のテキストをざっくりと日本語にまとめてから更に検索していて、わざわざ読めもしない英文を漁らなくてもよかったのにとため息を付く。ブラントのこの時代についてコンパクトにまとめた日本語のテキストを発見した。今橋映子という方が書いた「貧困という制度 : オーウェル『パリ・ロンドンどん底生活』」というテキストがそれで、そちらを参考にしつつ書き直した。
ポストした作品は、
"East End Girl, Dancing the Lambeth Walk" (1943)
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"Girls looking out of a window, Stepney, February" (1939)
"Parlourmaid at a window in Kensington" (1931-1935)
"East End Morning, September" (1937)
1枚目は"Picture Post"に掲載された写真で、ブラントの写真の中でも有名なもののひとつになる。
ランベス・ウォークというのは、、、時間切れなのでそのうち追加。
《関連エントリ》
traveling with the ghost: Bill Brandt
Art Pages - Bill Brandt
Michael Hoppen Gallery - Artist - Bill Brandt - - An Evening at Kew Gardens c 1937
Lee Gallery: Recent Acquisitions 2008
MoMA | The Collection | Bill Brandt. (British, born Germany. 1904-1983)
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