Kertész Andor (André Kertész)
Kertész Andor (Kertesz Andor、André Kertész、Andre Kertesz、ケルテース・アンドル、アンドレ・ケルテス)
1894年7月2日ハンガリー (Hungary) のブダペスト (Budapest、ブダペシュト) 生まれ。
1985年9月28日 NY にて死去。
Kertész Andor が写真を撮り始める前、カメラをまだ持っていなかった頃に影響を受けた芸術家は Lajos Tihanyi や Gyula Zilzer といった画家だったという。
ブダペスト証券取引所で事務員として働いていた Kertész Andor は、1912年に最初のカメラを買い、写真を撮り始めた。仕事以外の自由な時間は地元の農夫やジプシーたち、そして風景を撮ることに費やされた。"Sleeping Boy, Budapest, 1912" が、Kertész Andor の撮影した最初の作品だろうといわれている。Kertész Andor は写真を全くの独学で撮り始めたのだが、1914年頃には、既に Kertész Andor 自身のスタイルが作品に表れるようになっているという。カメラを買って2年で自分自身のスタイルの基礎が出来上がるということが、凄いのか凄くないのか写真を撮らないので分からないのだが、普通はどれくらいかかるものなのだろう?まあ、個人によってマチマチという答になってしまうのだろうが。
Kertész Andor が自身の写真スタイルの片鱗を見せ始めた1914年は、ヨーロッパが WWⅠ に突入した年である。Kertész Andor もオーストリア=ハンガリー帝国軍の一員として従軍することになり、1917年に Kertész Andor の作品が掲載された雑誌 Erdekes Ujsag が出版されるまでは写真の発表の場を持つことができなかった。写真を発表する機会は奪われたが、従軍している間も Kertész Andor は Goerz Tenax という軽量カメラで塹壕での生活を写真に撮り続けた。しかし残念なことに、この時期に撮影された写真は1919年のハンガリー革命時に失われてしまったらしい。
戦場で右腕を負傷したケルテース・アンドルはブダペストの陸軍病院に送られ、後にエステルゴムへ転院させられることになるのだが、そこでも写真を撮り続けていたという。写真だけが生きがいだったのだ。この頃の作品で有名なのは "Underwater Swimmer, Esztergom, 1917" という揺らめく水で歪められたスイマーを撮影したシリーズの中で唯一残っている作品だろう。このシリーズは後に Kertész Andor が撮影することになる1930年代初期の "Distortions「歪曲」" へと繋がっていくことになるという点で重要。
1918年に WWⅠ は終結し、ケルテース・アンドルはしぶしぶ元の職場で働き始めた。そしてケルテースは大切な出会いを果たす。生涯の伴侶であり、モデルでもあり続けた Erzsebet Salomon (Elizabeth Saly)との出会いである。とはいえ、帰ってきた退屈な日常生活が我慢ならなかったケルテースはくハンガリーから逃げだすことを決意。しかし、数年間足踏み状態が続く。そして1925年、ついに彼の思いが報われるときが訪れる。
Kertész Andor (ケルテース・アンドル)時代は以上。
残念なことに、ポストした作品をKertész Andor (ケルテース・アンドル)時代のもので固めるという訳にはいかず、そのあたりがちょっと微妙な作品選択になってしまった。
Wikipedia
Andre Kertesz
Barry Singer Gallery
Distortion #80 by André Kertész presented by Stephen Daiter Gallery
Andre Kertesz
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