Sunday, June 14, 2009

Walter Sickert (Walter Richard Sickert, Walter R. Sickert)





Walter Sickert (Walter Richard Sickert、Walter R. Sickert、リチャード・シッカート、リチャード・ウォルター・シッカート)
1860年5月31日ドイツのミュンヘン生まれ。1942年1月22日イングランドのバスにて死去。
画家、版画家、教師、作家。
しばしば"a painter's painter"と呼ばれる20世紀の英国を代表する画家のひとり。

デンマーク系ドイツ人のアーティストであったオズワル・ドシッカート(Oswald Sickert)と、英国の天文学者、リチャード・シープシャンクス(Richard Sheepshanks)の庶子であったエリノアとの間に生まれる。
ウォルター・シッカートがまだ子供の頃、一家はミュンヘンを離れイングランドへと移り住んだ。

青年時代には俳優としての道を模索しており、俳優のサー・ヘンリー・アーヴィング(Sir Henry Irving、ブラム・ストーカーがマネージャーを務めていたことがあり、近年の研究でドラキュラの人物像のモデルと目されている)の会社を訪れたこともある。
その後、ジェームズ・マクニール・ホイッスラー(James McNeill Whistler)を務めてから渡仏し、大きな影響を受けることになるエドガー・ドガ(Edgar Degas)と出会う。

ドガからどういった影響を受け、シッカートがそれをどう展開していったかについては、多分大切な部分なのだと思うんだけど、面倒なのでバスッと端折らせてもらおう。

第一次世界大戦の直前、シッカートはアバンギャルドなアーティスト、ルシアン・ピサロ(Lucien Pissarro、フランスの印象派の画家カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro)の息子)、ジェイコブ・イプシュタイン(Jacob Epstein)、アウグストゥス・ジョン(Augustus John)、そしてウィンダム・ルイス(Wyndham Lewis)を擁護し(ということは、ここに名前の挙がったアーティストたちは当時非難されていたということなのだろうが、簡単に検索しただけではどういった非難を受けていたのかが判明しなかった)、この中の幾人かを含む画家たちと1905年以降、非公式に集まり会議を続けていた。1911年、この非公式な集まりを正式にグループとして立ち上げた。それがカムデン・タウン・グループ(Camden Town Group)であり、シッカートはこのグループとユーストン・ロード・スクール(Euston Road School)に直接的な影響を与えた。
カムデン・タウン・グループ(Camden Town Group)には、次のアーティストが所属していた。

Walter Richard Sickert, Harold Gilman, Spencer Frederick Gore, Lucien Pissarro, Wyndham Lewis, Walter Bayes, J.B. Manson(James Bolivar Manson), Robert Bevan, Augustus John, Henry Lamb, Charles Ginner(Charles Isaac Ginner), Duncan Grant.


1907年9月11日、ロンドンのカムデンにあるエイガーグローヴのセントポール通りで、パートタイムの売春婦をしているエミリー・ディモック(Emily Dimmock)が自室で殺害される事件が起きる。犯人は性行為をした後、エミリーが寝込んだところを喉を切り開いて殺害し、朝方現場を立ち去ったのだという。この殺人事件はプレスの好奇心に火を付ける事になり、新聞などにはセンセーショナルな記事が踊った。
この事件にウォルター・シッカートの名前が登場してくる。何故か?
事件が起きた頃はというと、シッカートが数年来ベッドにいる悲しげな女性のヌードを描き続けていた時期で、その中に"The Camden Town Murder"という作品があった。オリジナルのとタイトルを"What Shall We Do for the Rent?"というこの作品は、まさにエミリー・ディモック殺害事件そのままであり、議論を呼ぶことになったのだ。

The Camden Town Murder
Originally titled, What Shall We Do for the Rent?

後年、アメリカのミステリー作家パトリシア・コーンウェル(Patricia Cornwell)は、私財を投入して「切り裂きジャック事件(ジャック・ザ・リッパー事件)」を徹底調査。ウォルター・シッカートを犯人であるとした『切り裂きジャック "Portrait of A Killer; Jack The Ripper Case Closed"』を2002年に発表している。子供の頃好奇心を膨らませた事件のことを大人になっても忘れずにいたんだな、パトリシア・コーンウェルって。


最初の4枚のタイトルは次の通り。

"Mornington Crescent nude"
"La Hollandaise" (1906)
"Nude standing by an iron bedstead"
"Woman Washing her Hair" (1906)

Wikipedia
History of Art: Walter Sickert
Tate Collection | Walter Richard Sickert
National Galleries of Scotland - Collection - Artists A-Z
The Edwardians: Secrets and Desires
Museum of Fine Arts, Boston: Collections Search Results

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